Friday, August 30, 2013

On One's Face

“Be responsible for your face!” some people say. What forms your face? We may think that genes from our parents, our living environment & age, form our faces. There was once an American objectivist poet, Charles Reznikoff (1894-1976), who considered about this point from a different aspect. Objectivist poets were the artists who appeared in 1930s in the United States & Britain, & tried to mold their poems as objects to be looked at, with their sincere hearts & bright minds. Charles Reznikoff concluded on what one’s face is made by:
The fingers of your thoughts are molding your face ceaselessly.

「顔に責任を持て」という人はいる。では、顔を形作るのはなんだろう? 親から引き継いだ遺伝子や暮らしいる環境や時代が顔を作ると考えることもできる。かつて、違う角度からこの点について熟考したアメリカのオブジェクティヴィスト詩人がいた。一九三〇年代に米国や英国に出現したオブジェクティヴィスト詩人は、誠実な心や優れた頭脳で詩歌を鑑賞されるオブジェとして作ろうとした芸術家たちであった。チャールズ・レズニコフは、人の顔を形作るのは何であるのかについて結論を出した。
諸々の想念の指がその人の顔を休みなく形作っていく。

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チャールズ・レズニコフ
Charles Reznikoff

Thursday, August 29, 2013

しっぺ

しっぺは仏僧が用いる竹篦から。僧たちは互いの気の緩みを正すためにお互いに竹篦で打ち合う。しっぺ (い) がえしはその様子から生まれた表現で、「仕返しすること (to pay back)」

Wednesday, August 28, 2013

蒲鉾と竹輪

蒲鉾は形が蒲 (かば or がま) の穂に似ていることが語源とされる。従って、蒲穂子の表記もあった。蒲の穂に似ていたものは、白身の魚肉をすりつぶして竹に練ってこさえたもので、仕上がりが円筒状になる。今日、この食べ物は竹輪という。蒲色は赤みを帯びた茶色。今日の蒲鉾は板に扇状に盛って作る。

 蒲鉾竹輪は西洋では考案されなかったので、日本語のまま kamabokochikuwa といったり、 fish sausage だとか fish cake などという。


かまとと

かまととは知っているのに知らないふりをすること。特に女性が無垢を装うこと。そういった女性を求める男が「かまととぶるんじゃねえ」などと用いる。

 かまととかまかまぼこかまととで、そもそも女性が無垢を装うさまが、
「蒲鉾はととでできているのですか」とわかりきっていることを質問する様子に類似することから、かまととという言い回しができた。従って、これも一種かばん語的要素のああ言葉である。

 かまととぶることは英語では to play the innocent などという。

Tuesday, August 27, 2013

キッシュとバームクーヘン

キッシュはパイ生地に生クリームや肉・野菜をのせて、その上にグリュイエールチーズをかけてオーブンで焼いた料理であり、フランス語で quiche という。英語はフランス語からの借用で、綴りは同じであり、例えば、「ロレーヌ (地方風) のキッシュ」は Quiche Lorraine という。

 フランス語の quiche はフランス内のドイツ人が話すアルザス語 (Alsatian) の küchen を語源にしている。対応するドイツ語は Kuchen 「ケーキ」である。Kuchen バームクーヘンという語形で日本語にも入って来た。バームクーヘン (独語: Baumkuchen) は日本語に直訳すると「木のお菓子」であり、見た目が木の切り株に似ていることから命名されたものである。また、ドイツ語 Küche は「台所、キッチン、料理、調理法」を意味している。キッシュクーヘンは焼いた料理で、語源的には英語の cook につながる。

食べ物に関する言葉

Monday, August 26, 2013

グミ

グミというお菓子の語源はドイツ語 Gummi 「ゴム」である。食感がゴムを噛んでいるようなので、こう命名された。

 ドイツ語 Gummi はオランダ語 gom と同系であり、このオランダ語は日本語のゴムの源である。英語の同系語は gum だが、英語話者は「ゴム」を rubber という (: rubber tree... rubber  boots... )。ただべたべたとくっつくものは gum という。アメリカでは chewing gum を縮めて gum と呼ぶ。日本でもチューインガムは縮めてガムと呼ぶから、省略法は同一である。日本では噛みつづけてもなくならないものをガムと呼び、噛んでいるとなくなるものをグミと呼ぶ。

 ドイツ語の Gummi は「ゴム」の意味であり、「消しゴム」などの意味で用いられることはあるが、「グミ」の意味はない。日本語の輪ゴムはドイツ語では「ゴム輪」即ち Gummiring と呼ぶ。

食べ物に関する言葉
ランドセル  (オランダ語からできた言葉)
リュックサック (オランダ語からできた言葉)


Sunday, August 25, 2013

観光

観光の原典は『易経』にある。読み下しでは「光を観る」だが、とは、各地の文化、産物、風物などを指していた。かつて、国の光を観る (観国之光) といえば、役人が地方の文化、制度、産物、風物などを見に行く、いわゆる「視察」のことであった。観光は日本では明治時代に使われるようになり、今では娯楽的な語義しか持たなくなった。

 観光の一般的な英訳語は sightseeing であり、この sight は「目に見えるもの、視界に入るもの」を指し、具体的には「景色、名所、旧跡、風景、風物」などを指す。

 英語の travel travail は同源である。このことは、旅が難儀なものであったことを示す。一般的に旅や旅行と呼ばれるものが、楽しいものになったのは、おそらく、二十世紀以降だろう。

Experience vs Books (Herbert Simon's Travel theorem)


Saturday, August 24, 2013

おんぶ

おんぶ (carring a baby (a person) on one's back) は、動詞負う、帯ぶ (帯びる)おぶうおぶると同源。負うは「肩にかつぐ」こと、帯ぶは「身につける」こと、おぶう・おぶるは「負う、おんぶする」ことである。


ウィルソンの暦と株式投資

 十九世紀後半から二十世紀はじめに生きたマーク・トウェインが株を売買していたのか、していたとしたら、どのようにしていたのかなど知らないけれど、まぬけウィルソンの暦の十二の金言のうち、十月に載っているものは直接株式の売買に言及したものであり、その見解は遠回しに、値幅取りの投機は避けよ、といっていて、その点でヴァリュー投資家のテンプルトンやバフェット (Warren Buffett, b.1930) の見解と同じである。

 さて、ウィルソンの暦にはポートフォリオ構築に応用できる金言もある。二月の「卵は一つの籠に入れて、よく見張れ」というものである。この見解をテンプルトンとバフェットの投資哲学に照らし合わせると、両者の意見は一致していない。テンプルトンは分散を推奨している。というのも、どんなに注意しても未来は予測不能だからである。対してバフェットロジー (バフェットの投資哲学 = Buffettology) は、企業を二・三社理解するだけでも至難の業なのに、闇雲に分散してリスクを軽減していると思い込むのはまちがいだといっている。バフェトロジーは、この点では、ケインズ (John Maynard Keynes, 1883 - 1946) の投資哲学を継承しているのかもしれない。

 ウィルソンの暦の五月には、意見の相違で競馬が成り立つ、とある。株に値段が付くのも人々の意見に相違があるからである。ある会社の株価が千円だとすれば、千円で買った人と千円で売った人がいて、売買が成立したことを示すが、買った人は千円なら割安だと思ったから買ったのであり、売った人は千円では割高だと思ったから売ったのである。

 文人で株というと、永井荷風と北杜夫の名前がとっさに浮かぶ。林芙美子は株屋の事務員をした経験がある。

Europhoria (テンプルトンに言及)
Newton's Fourth Law (バフェトロジー)
Pudd'nhead Wilson Calendar
噂で買って結果で売る (テンプルトンに言及)
旅を住処とした女 (林芙美子に言及)

Friday, August 23, 2013

Pudd'nhead Wilson's Calendar: August

In Mark Twain’s novel The Tragedy of Pudd’nhead Wilson, guys at a frontier town of Dawson’s Landing on the banks of the Mississippi River can’t understand a new comer, young lawyer David Wilson, whose words sound stupid to their  ears & deeds look odd to their eyes. They entitle him “Pudd’nhead.” The word pudd’nhead may have been a real local word spoken in the area in the 19th century that means “odd, eccentric,” or simply “idiot.” This “pudd’nhead” lawyer has an 1894 calendar with witty, funny, ironic remarks made by himself. Let's see the August sheet here. Which do you call him pudd’nhead or intellectual?
Why is it that we rejoice at a birth and grieve at a funeral? Is it because we are not the person involved?
マーク・トウェインの小説『まぬけウィルソンの悲劇』では、ミシシッピ川沿いの開拓地ドーソンズ・ランディングの人々は新たに引っ越して来た若き弁護士デイヴィド・ウィルソンのことが理解できず、その言葉は彼らの耳にはばかばかしく響き、その行いは彼らの目には風変わりに写る。そこで彼らはウィルソンに「Pudd’nhead (まぬけ)」の称号を与える。「おかしな、へんてこな」、あるいは単に「ばかな」を指す Pudd’nhead という言葉は、十九世紀、同地域に実際にあった方言なのだろう。この「まぬけ」弁護士はウィットの効いた、滑稽で皮肉を含めた物の見方を記した自作の一八九四年の暦を持っている。ここでは八月の暦を見てみよう。ウィルソンはまぬけか、識者か、どっちだろう?
どうして我々は誕生を喜び、葬式を哀しむのでしょう? 当事者ではないからでしょうか

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Pudd'nhead Wilson's Calendar

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マーク・トウェイン

Pudd'nhead Wilson's Calendar

Pudd’nhead Wilson’s Calendar (1894)

(reported by Mark Twain)

January
Nothing so needs reforming as other people’s habits.

February
Behold the fool saith, “Put not all thine eggs in the one basket,” which is but a manner of saying, “scatter your money and your attention,” but the wise man saith, put all thine eggs in the one basket and - watch the basket.

March
When angry, count a hundred. When very angry. swear.

April
April 1st: This is the day upon which we are reminded of what we are on the other three hundred and sixty-four.

May
It were not best we should all think alike. It is difference of opinion that makes horse-races.

June
When I reflect upon the number of disagreeable people who I know have gone to a better world, I’m moved to lead a different life.

July
July 4th: Statistics show that we lose more fools on this day than that in all the other days of the year put together. This proves, by the number left in stock, that one Fourth of July per year is now inadequate, the country has grown so.

August
Why is it that we rejoice at a birth and grieve at a funeral? Is it because we are not person involved?

September
If you pick up a starving dog and make him prosperous, he will not bite you. This is the pricipal difference between a dog and a man.

October
October: This is one of peculiarly dangerous months to speculate in stocks. The others are July, January, September, Aril, November, May, March, June, December, August and February.

November
Few things are harder to put up with than the annoyance of a good example.

December
Even the clearest and most perfect circumstantial evidence is likely to be at fault, after all, and therefore caught to be received to be great caution. - Take the care of any pencil sharpened by any woman; if you have witnesses you will find she did it with a knife: but if you take simply the aspect of the pencil, you will say she did it with her teeth.


まぬけウィルソンの一八九四年の暦

(マーク・トウェインの報告)

一月
他人の習慣ほど改善しなければならないものはない。

二月
愚者はかく言う。「卵を一つの籠に入れてはならない」と。それは、「お金をばらばらにして気が散るようにせよ」と言っているにすぎない。そこで賢者は言う。卵を一つの籠に入れて、その籠を見張れ、と。

三月
怒りを感じたら、百まで数えよ。激怒したら、ののしれ。

四月
四月一日 - 自分が他の三百六十四日ではどんなものか思い出す日である。

五月
我々がみんな同じように考えれば良いというわけではなかろう。競馬が成り立つのは意見の相違の為である。

六月
知り合いの多くの気に食わない人々が他界したことについて熟考してみると、今までとはちがった生活にいざなわれるものである。

七月
七月四日 - 他の全ての日の合計に増して、我々はこの日一日でより多くの愚者を失う、と統計は示している。これが証明しているのは、全体にのこっいる数字によって、年に一回の七月四日では不十分なのだが、この国はかくのごとく成長してきた、ということである。

八月
どうして我々は誕生に喜び、葬式に哀しむのでしょう? 当事者ではないからでしょうか

九月
腹をすかせた犬を拾って元気はつらつにしてやれば、その犬は飼い主をかまなくなる。これが犬と人間との主要な相違点である。

十月
十月 - 株の投機を行うのに特に危険な月の一つ。ほかに危険な月は七月、一月、九月、四月、十一月、五月、三月、六月、十二月、八月、そして、二月である。

十一月
模範に対するいらだちより身につけるのが難しいものはあまりない。

十二月
明白で完璧な状況証拠でさえ、誤ちであることが起こりえるので、結局、それ故に細心の注意をもって受け入れなければならない。ある女性が削った鉛筆に注意してみよう。あなたが目撃していれば、その女性がナイフで削ったことはわかるだろう。しかし鉛筆の削られた断面ばかりを汲み取るなら、その女性は歯で削ったのだ、とあなたは言うだろう。




Thursday, August 22, 2013

噂で買って結果で売る

 噂で買って結果で売るは相場格言で、特に株式投資をしている人々には馴染み深いものである。若干言い回しは異なるが、英語でも同様のことは言う (: Should you buy the rumor and sell the news?) 

 株の取引畑では、「あの会社、何かやりそうだ」といって買い始め、実際に新製品を発表したら、利食い売りを出す。その新製品が売り出されるのはもう少し先だから、どれだけ先回りするのか、という思いもあるが、短期のトレードは往々にしてそうしたものであり、また、この格言は「そうせよ」と勧めている。

 これに対立するのはテンプルトン  (John Templeton, 1912-2008) の投資姿勢である。例えば、テンプルトンは「投資せよ、トレードや投機は行うな (Invest - don't trade or speculate!)と言っている。

Saturday, August 17, 2013

No One Happy

In Histories (bk1, ch32) written by Herodotus, Solon of Athens (c640 - 558 BC), one of the seven sages, says:
Call no one happy before he dies, he is at best but fortunate.
ヘロドトスの『歴史』には古代ギリシャの七賢の一人であるアテネのソロンの言葉が載っている。
誰にも死ぬ前の幸せはなく、よくて幸運あるのみ。

Latin: Nemo ante mortem beatus.

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Ask yourself whether you are happy...

Friday, August 16, 2013

You Shall Not Ask

Call no one happy before he dies, says Solon of Athens, one of the seven sages of Greece. Always happy is he who knows that he has enough necessities, says an East Asian Buddhist proverb. Happy is the man who finds wisdom & gets understanding, says the Bible (Proverb 3:13). If you have health, you probably will be happy, says Elbert Hubbard. But British EIC officer & economist John Stuart Mill (1806-73) suggests you that you shall not ask whether you are happy. Read his Autobiography (ch.5):
Ask whether you are happy, and you cease to be so.
死の前には幸なしとはギリシャの七賢であるアテネのソロンの言葉である。足るを知る者に幸あり、とは東アジアの仏教の箴言である。叡智を見つけて理解する者に幸あり、とは聖書の言葉である。健康であれば、幸福にもなれるでしょう、と言っているのはエルバート・ハバード。ところで英国の東インド会社の社員で経済学者でもあったジョン・ステュアート・ミルは、幸福であるかどうかは尋ねてはならないと提案している。『自伝』を読んでみよう。
幸せかどうかと自問すると、自ら幸せでなくなってしまう。

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Call no one happy...
Happy is the man who finds wisdom...
If you have health, you probably will be happy...
知足常楽

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ジョン・ステュアート・ミル

Friday, August 09, 2013

No Books Are Perfect

Narayana, who was a pandit employed by Bengali king Dhavalachandra in the 12th century, re-edited Panchatantra, a collection of animal stories with lessons, which had been originally written in Sanskrit prose & verse in the 3rd century BC, adding some stories. Narayana’s book was entitled Hitopadesha,  “Beneficial Advice” in Sanskrit. One of his lessons shows that good books may not be enough for learners to be wise:
Those who have studied good books may still be fools.
十二世紀にベンガル王ダヴァラチャンドラに仕えていたインドの賢者ナーラーヤナは、いくらか話を付け加えて、紀元前三世紀に梵語の散文と韻文でまとめられた寓話集『パンチャタントラ』を再編した。ナーラーヤナの本は梵語で「ためになる助言」、即ち、『ヒトーパデーシャ』と題された。賢くなるのに良書があれば十分とはかぎらない、とナーラーヤナの教訓のひとつは諭している。
良書から学んだ者も、なお愚かな者のままであろう。

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ヒトーパデーシャ
パンチャタントラ

Monday, August 05, 2013

fling と投身

 fling は「放り投げる、放り込む」ことだが、「自分自身を放り投げる、打ち込む」ことを fling oneself などと表現する (: He flung himself into that business... ) 。名詞の fling には、日常と異なるものに飛び込んでいくことを指し、例えば、具体的には「浮気、不倫」や「羽目を外すこと」などを指す (: Enjoy easy flings... )

 投身は読んで字の如く「身を投げる」ことである。身を投ずるというと flinging oneself と同じだが、身を投げるというと、「飛び降り自殺」や「入水」のことである。投身には「身を投ずる、没頭する」という意味はないし、「不倫」の意味もない。

言葉の使い方

Thursday, August 01, 2013

Do Not Talk about Your Troubles

Do not talk about your troubles. Tommy Lasorda (b. 1927), who is known to the Japanese as the manager of the Los Angeles Dodgers, that tornado-pitching “Dr. K.” Hideo Nomo joined in 1995, advises us about this point:
I found out that it’s not good to talk about my troubles. Eighty percent of the people who hear them don’t care and the other twenty percent are glad you’re having them.
トラブルを抱えていても口にしてはいけない。日本人には、トルネード投法のドクターK”こと野茂英雄が一九九五年に入団したロスサンジェルス・ドジャーズの監督として知られているトミー・ラソーダが、この点について助言している。

トラブルのことを口にしてもよろしくないことを発見した。八割の人は聞いても気にしないし、残りの二割は嬉しがるからだ。

余談
野茂が大リーグでプレーしていた頃、向こうのテレビの解説者が、「Nomo は日本語で、『飲もう』の意味なんだ」と言ったとか、言わないとか・・・ 言ったとしたら、多分 ----- “ Nomo means LET’S DRINK! in Japanese.” -----のように表現したのだろう。


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野球に関わりのある言葉

   

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