Friday, August 26, 2011

Peace of Soul

Georg Christoph Lichtenberg (1742-1799), German scientist & philosopher, was recording quotations, reflections, personal sketches, etc. in notebooks from 1765 until 1799, the last year of his life. He called the notebooks Sudelbücher (waste books) & they were found & published after his death. Each volume is marked by a letter of the alphabet from A to L in order, instead of a number . In Notebook E, an aphorism about the inner peace is written:
Nothing contributes more to peace of soul than having no opinion at all.
意見を持たぬことほど魂の平安に寄与するものはない。
(ゲオルグ・クリストフ・リヒテンベルク)


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Georg Christoph Lichtenberg
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Tuesday, August 23, 2011

Omnia idem pulvis

Omnia idem pulvis

word-for-word translation
All, the same dust.

general translation
All is the same dust.

逐語的邦訳
みな同じ築芥。

ラスムスが採録したローマのことわざ。このラテン文には動詞がない。対応するギリシャ語はパンタ・ミア・コーニス ── Παντα μια κονιϛ .

おもしろいことに、ギリシャ語の konis には power の意味もある。

人は塵から出でて塵に帰る。誰もが同じ。死ぬと火葬され灰となる。灰となって塵に帰る。動物や木や干し草などとも同じ。

idem は英語 identity の、pulvis は動詞 pulverize の先祖である。

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Monday, August 22, 2011

ひのもとの国「日本」

日本

 日は、原字が、丸みのある四角形 (正方形ぎみか?) の中に点ののような線を引いて、太陽の形を表す象形文字。訓読みでは「ひ、ひる、ひかり、さきに」
 本は、木に指示的な点を加えて、根本 (ねもと = こんぽん) を表した指事の字。本来、本籍などの熟語を作る意味が原義。ほん (book) はあとから付け加えられた意味である。訓読みでは「もと、はじめ、ほん」
 日が昇る国 ── Rising Sun
 中国から見て東に位置するから。
 倭国が日本と号するようになったのには、壬申の乱が関係しているのかもしれない。
 八世紀初頭、再開した遣唐使が、中国に、我らはもはや倭国にあらずして日本なり、と伝えた。

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Sunday, August 21, 2011

Heartbreak Ridge

 『ハートブレイク・リッジ』はクリント・イーストウッド監督・主演の一九八〇年代の映画である。赴任地で上官が自分の出身校を語ったのち、クリント・イーストウッド扮する海兵隊の鬼軍曹ハイウェイに出身を尋ねる。ハイウェイは「ハートブレイク・リッジだ」と答える。何のことかわからなかったが、調べてみると、朝鮮戦争の戦闘の中で過酷を極めたものを「嘆きのうねの戦闘」という。
 見所は二つ。引退間近の老兵ハイウェイと自称「ロックンロールの王者」との奇妙な友情と、それから、ハイウェイと昔の奥さんとの関係である。
 多分、クリント・イーストウッドはどの映画でも同じキャラで、実力はあるが、品行が悪く、口は汚い。そして、誰よりもタフで正義感が強い。銃弾が雨あられと飛び交う戦場や犯罪現場でも決して弾に当たることがない。万が一当たったとしても、かすり傷で済む。ダイナマイトやバズーカ砲でも致命傷は与えられない。この映画でも、朝鮮半島やベトナムで戦って長年生き延びてきた歴戦の強者の英雄役をこなしている。
 クリント・イーストウッドに「ヒッピー」と呼ばれる軟派なくせ者のロックミュージシャンのスティッチ・ジョウンズは、食堂で朝食を食べたあと、トイレに行ってくるから勘定を頼むと渡された金をねこばばしてとんずらする。ここのハイウェイははなから人を疑って見ない清いところが良い。騙されて置き去りにされた後は怒り心頭となるが、このあたりもハイウェイというより、クリント・イーストウッドそのものなのかもしれない。
 赴任地は古巣の基地であった。顔なじみもいるが、デスクワークしかしない上官もいる。当たり前のことながら、そういう上官とハイウェイはそりが合わない。戦争は机の上でやることではないのだ。
 任されたのは、実践経験のない軟派なやつばかりそろった部隊であった。しかも、例のスティッチまでいた。部隊の面々は当初、新任の鬼軍曹に不満たらたらであったが、鍛え鍛えられるうちに、軍曹と部下たちとの間には信頼が生み出されていく。そうして、この大部隊の中ではどのプラトーンよりも実戦に向いた集団となっていった。
 さて、この町の酒場にはハイウェイの昔の奥さんが働いていた。ハイウェイは恋愛ハウトゥ本的な雑誌を読みながら、なんとかよりを戻そうとするが、なかなかうまくいかない。さすがのハイウェイも女にはやさしいが、国にのこされた妻が戦場の夫をどんな気持ちで待っていたかなど、想像もしていなかったのだ。
 この手の映画のラストは必ず実戦となる。訓練シーンだけで終わったら、ハリウッド映画として盛り上がりに欠けてしまう。また、夫婦のよりが戻るにせよ、恋人とうまくいくようになるにせよ、どんぱちごっこの訓練の後に抱き合うのと、命がけの戦闘の後に抱き合うのでは、断然、後者の方が絵になる。
 この映画の脚本では、グレナダで民間人が捕まってしまっているので救出にいく作戦が用意されている。その戦闘でハイウェイの勇気と決断力が傑出していることが示される。


PS ── 今ならヤフーの動画コーナーでフリーで鑑賞できる。

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ハートブレイク・リッジ


Friday, August 19, 2011

Do you know Dolphinese?

It is of interest to note that Carl Sagan (1934-96), US astronomer & SF novelist, has been reported to have noted below:
It is of interest to note that while some dolphins are reported to have learned English --- up to fifty words used in correct context --- no human being has been reported to have learned dolphinese.
正しい文脈で使用された五十語程度までの英語を習得したイルカがいると報告されている一方で、イルカ語を習得した人間の報告が皆無だと書き留めておくことは、興味からである。
(カール・セイガン)

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Carl Sagan
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Tuesday, August 16, 2011

ADDITION: clepsydra

 日本で最初の時計は中大兄皇子 (天智天皇) が作ったと日本書紀に書いてある。西暦に換算すると六七一年のことで、中大兄皇子は中国の時計を参考に漏尅 (漏刻) なるものを作ったという。漏尅とはいわゆる水時計のことであった。

clepsydra

Nullis amor est medicabilis herbis

Nullis amor est medicabilis herbis
--- Ovid, Metamorphoses

word-for-word translation
not (no), love is medicable by herbs.

general translation
There is no cure for love.

逐語的邦訳
ない、恋、治療可能な、薬草で。
(薬で治せる恋はない。)

ラテン語の諺。オウィディウスの『変身物語 』に見い出せる。ダフネー (Daphne = 月桂樹) との恋に破れたポエブス (Phoebus = Apollo / 英語読みでは「フィーバス」 / ギリシャ名「ポイボス・アポロン = 輝けるアポロン」 ) の言葉から。アポロンは医術の神でもあるが、こう歎いている。
Hei mihi! quod nullis amor est medicabilis herbis.
Ah, me! Because love can't be cured by any herb.
ああなんたることか!薬草で治せる恋がないとは。
ラテン語は語形が格を示すので、nullisherbis は複数奪格形同士で繋がっている。

ドイツ語とフランス語にも類似する言い回しがある。
Deutsch
Wider die Liebe ist kein Kraut gewachsen.
Against love, no herb has grown.
恋の対抗するために育った薬草はない

Français
Il n’y a pas de remède contre l’amour.
There is no remedy against love.
恋に対処する治療薬はない。
日本では草津温泉の民謡『草津節』の一説が知られている。草津温泉は万病に効くというが、恋の病は治せない。
お医者さまでも草津の湯でも ドッコイショ
惚れた病は コーリャ
治りゃせぬよ チョイナチョイナ
Latet anguis in herba (herba が出て来るラテン文)
Latin Index
Tempus edax rerum (by Ovid)
恋のことわざ集
ピュグマリオーン

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変身物語
Metamorphoses
西洋の諺
世界のことわざ

Monday, August 15, 2011

roué

roué

--- Word DNA ---------------------------------------
1800 “rake, debauchee, lecher.”

ETYMOLOGY
French, literally meaning “broken on the wheel,” past participle of rouer, from Latin verb rotare “to rotate”; related to Latin noun rota “wheel.” The wheel was an instrument of punishment. The word was first applied to the Duke of Orleans (French regent) & his bad company around 1720, to imply that each & every one of them deserved to be “broken on the wheel.”

FAMILY
rodeo
roll
role
rota
rotary
rotate
roulette
rowel
round
rotund
control

PIE ROOT
*ret- “to run or roll.”
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

 「車輪の刑で骨を折られるやつ」といった意味合いで、 「放蕩者、道楽者、助平」のこと。
 中世のヨーロッパには、公衆の面前で、罪人を車輪にX字型に縛り付けてハンマーや棍棒などで打ちのめす処刑法があった。車輪は地面と水平に設置され、罪人はその上に仰向けに縛り付けられる。車輪はゆっくりと回転するようにできていて、刑の執行者は梁と梁の間で伸びきるように縛ってある腕と脚をハンマーや棒で打ちのめして次々に骨折させる。何度も強打して複雑骨折させたあと、刑の執行者は罪人の胸部や腹部を強打する。フランスではその打撃を「慈悲の打撃 (coups de grâce)」と呼んでいた。
 罪の重さにより、慈悲の打撃が行われない処刑法もあった。その場合、罪人は腕や脚が骨折したまま死ぬまで放置されたり、あるいは、手足を縛り上げて生きたまま鳥の餌にされたりしていた。
 西洋諸語にはこの残虐な刑にまつわる慣用句がある。
opgroeien voor galg en rad (Duch) 処刑台の車輪まで伸びていく。(全然駄目 / まったく良くならない)

morir en la rueda (Cholean Spanish) 車輪の上で死ぬ。(黙っている / 死んでも口は割らない)

ik ben geradbraakt (Dutch) 私は車輪の上でずたずたにされた (= 私はもうくたくただ)

sich gerädert fühlen (German) 車輪にくっつけられた気分である。(もうくたくたである)
スウェーデン語の rådbråka [from German radbrechen] は、「車輪の上で折る (to break on the wheel)」であり、精神的に参ってしまったことを示す。デンマーク語のradbrækket は肉体的にへとへとであることを示す。対応するノルウェー語の動詞 radbrekke は、芸術や言葉遣いが伝統や礼儀を蔑ろにしていることを示す。
 フィンランド語の動詞 teilata「車輪によって処刑する (to execute by the wheel)」は、痛烈に批判したり、拒絶することを示す。
 色事の国フランスではもうひとひねりして、「車輪の上で骨を折られるやつ」と表現して、「放蕩者」を指すようになった。これは十八世紀はじめのルイ十五世の摂政オルレアン公フィリップ二世の私生活が乱れていたことからできた言い回しである。摂政は権勢をほしいままにして、仲間とともに、美食や暴飲暴食、色事や賭け事に耽っていたという。現実の摂政は卒中で亡くなったらしいが、摂政とその仲間は車輪の上で叩きのめされても当然であったと後の世の人々は考えた。

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Friday, August 12, 2011

Not Everything Has a Purpose

What is a purpose of life? Stop worrying about it & see the cat. Garrison Keillor (b. 1942), US radio show host & humorist, once suggested that we should observe cats more:
Cats are intended to teach us that not everything in nature has a purpose.
生きる目的とは何だろう。悩まないで猫でも眺めると良い。米国のラジオの司会者でユーモアリストのギャリソン・キラーは猫をもっと観察するように提案したことがある。
猫がいるのは、自然界のものすべてが目的をもっているわけではないということを私たちに教えるためである。
→About "Life is a Joke"

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Garrison Keillor
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Thursday, August 11, 2011

Pakistan

Pakistan

--- Word DNA ---------------------------------------
1933 "country in the Indian subcontinent, west of India. Islamic Republic of Pakistan."
The country was separated by a religious reason from India, which declared independence from Britain, 1947. Originally it included two parts, one to the west & the other to the east of India. The east territory of East Pakistan became an independent state of Bangladesh, 1972, after the civil war. The capital of Pakistan is Islamabad & its official languages are Urdu, Punjabi, Sindhi, Pashto, & English. The country left the Commonwealth of Nations in 1972, but rejoined in 1989. (Pakistan was suspended from it in 1999 & the suspension was lifted in 2004; & suspended again in 2007 & the suspension was lifted again in 2008.)

ETYMOLOGY
From Pakstan, in Persian or Urdu, "land of the Pure" [pak "pure" + istan "country or land"], which was coined by Choudhary Rahmat Ali & first printed in his Muslim movement pamphlet Now or Never. The name was also formed as an acronym: Punjab + Afghan frontier + Kashmir + Sind + -(IS)TAN (cut off of Baluchistan).
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

パキスタンは、当初、パクスタンと名付けられたが、インダス川流域とインドの西方に位置するこの広大な一帯をパクスタンと名付けたのは、ムスリム運動家のチャウダリー・ラーマット・アリーである。アリーは一九三三年に『今でなければ二度となし』と題するパンフレットを発行し、その中にパクスタンなる地名を用いている。パクはペルシャ語やウルドゥー語で「純粋な」を指し、(イ) スタンは「国」を指すから、「純粋な人々の国」となる (-istan は「国」の義 / eg Afghanistan = Afghan "land")。更に、この地名は五つの地方の地名から頭文字をとったアクロニムになっている。アクロニムとは、頭文字の配列によってできる言葉で、例えば、ニユセフ (UNICEF = United Nations International Children's Emergency Fund) や NATO (North Atlantic Treaty Organization) などの単語である。
 パクスタンの各地の名称の頭文字とは、パンジャブの P、アフガンの A、カシミールの K、シンドの S であり、それらにバルチスタンの語尾の(イ)スタンを付け加えて作った国名である。Pakstan が Pakistan となったのは、その方が発音し易いからだという。
 こうしてできたパキスタンはインドの一部であったが、英国からインドが独立したとき、宗教的理由によって、インドから分離・独立した国である。西部はインダス川流域、東部はベンガル人の国で、地理的にはインドを挟み分断されていたが、共通の宗教であるイスラムで結ばれていた。しかし、インドの東方、東パキスタンでは内戦が発生して、一九七一年、パキスタンから独立して、バングラデシュとなった。
 パキスタンという国名は、インダス川流域のこの地が、昔から文明と民族の交差点で人種のるつぼになっていたことを示している。

ACRONYM
iPS細胞

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パキスタン
Pakistan
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Wednesday, August 10, 2011

bell-wether

bellwether

--- Word DNA ---------------------------------------
Middle English "leading male sheep of a domestic flock, with a bell around its neck." Extended sense "leader."

ETYMOLOGY
bell + wether
bell [of Germanic origin, from PIE *bhel- "to sound or roar"]
wether [Old English "(gelded) ram"; of Germacic origin, from PIE *wet- "year"]

FAMULY
(related to wether)
words of Latin origin:
veal
veteran
inveterate
(& their derivatives)

COGNATES OUTSIDE ENGLISH
Widder (German)
weer (Dutch)
vidr (Old Norse)
withrus (Gothic)
vatsah (Sanskrit) "calf"
etalon (Greek) "yearling"
vitulus (Latin) "calf, yearling"
veau (French) "calf"

PIE ROOT
(wether)
*wet- "year"
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

 「鈴」と「雄羊」で、直訳すると、「鈴雄羊」
 日本語ではラム (ram) はラム (lamb) で同音であるが、ram は「雄羊」のことで、特に去勢されていないもののことをいい、lamb は「子羊」のことをいう。鈴を付けるのは無論人間であるが、雄羊は雌羊 (ewe) たちを率いる。おそらく、雄は子供のうちに間引きして食べてしまい、数は少ないのだろう。毛は雌雄両方から刈れるが、雄は子を産まないし、乳も出さないから、数が多くいてもあまり役に立たないのだろう。
 bellwether の拡大義は「先行 (先導) するもの、率いるもの」である。
Each bull market has a new group of bellwethers.
上げ相場には先導する新たな銘柄のグループがあるものだ。

We have the Democratic bell-wether.
私達には民主党のリーダーがいる。

Bellwether Exploration.
先行探査。
 bell はここではおいといて、wether のルーツを探ってみると、印欧祖語の語根は *wet- で「年」のことである。ゲルマン方面では「羊」になったが、イタリア方面では「年を取った、年月を経た、古い」などを指す形容詞 vetus になった。これは veteran や、長く続いて常習化したことや慢性化したこと、悪い意味で凝り固まっていることをを指す inveterate の語源である。

英語の語源

Etymology

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Tuesday, August 09, 2011

奢る平家は久しからず

奢れる者久しからず

『平家物語』は次のようにはじまる。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響き有り
沙羅双樹の花の色
勢者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏 (ひとえ) に風の前の塵に同じ
祇園精舎 (梵語: Jetavana vihara) は天竺の仏教僧院。須達 (しゅだつ / 梵語 Sudatta) 長者が舎衛城 (しゃえじょう) の南にある祇陀 (ぎだ / 梵語 Jeda) 太子の林苑を買い取って釈迦 (しゃか / 梵語 Sakya) とその教団の為に建立した。祇陀林寺。ここでは病僧がなくなると弔意を表すために鐘を鳴らす風習があった。釈迦が入滅したときは、沙羅 (さら / 梵語 sala) 双樹の花も白くなって枯れてしまった。それは、さかんであっても必ず滅びる裡 (ことわり) を示している。沙羅双樹は無常の象徴とされている。

奢れる者も久しからずに対応する英語の諺は Pride goes before a fall である。
七世紀、『西遊記』で有名な唐の玄奘三蔵が訪れたとき、祇園精舎は既に荒れ果てた廃墟だったともいわれている。インドではヒンズー教が形成するカースト制社会が確固たるものであったので、万民平等論を説く仏教が根付かなかったことは歴史的事実である。

盲目の琵琶法師が語りをつとめていたことは、小泉八雲が再話した『耳なし芳一 (The Story of Mimi-Nashi-Hoichi)』によって知られている。

関連
平家物語に見る古代中国の悪しき君主たち
Asinus stramen mavult quam aurum


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平家物語
中野美代子訳 西遊記
小泉八雲 怪談

Monday, August 08, 2011

Asinus stramen mavult quam aurum

Asinus stramen mavult quam aurum
--- Latin Proverb

word-for-word translation
Ass (donkey), straw, prefers, than, gold

general translation
The donkey prefers straw to gold.

逐語的邦訳
ロバは藁を好む、より、金 (きん)。
(ロバは金より藁を好む。)

 ラテン語の諺。イソップ物語に「馬をうらやむロバ」の話がある。ロバは粗末な餌で重たい荷をえっちらほっちら運ばなければならないが、馬はかっこいい馬具を取り付けられて、軽快に走り回れる。馬はいいなぁ〜、とロバは思う。ところがある日、戦争が始まると、馬は武装した兵士を乗せて戦場にいかなければならなくなった。そして、戦争で敵の剣に傷つけられ、戦死してしまった。ロバは考えを改めて馬を憐れんだ。

 イソップ物語には馬の側から見た話もあるらしい (未確認)。馬はロバを見下しているが、戦争で負傷して惨めな思いをすることになる。その教訓は、倒れる前にはうぬぼれあり (Pride goeth before a fall)。

 十五世紀のカクストン (William Caxton) 版には運命の女神の回転する輪の図が付いていて、次のような教訓がのっているという。
He that is wel fortuned and happy and is atte vpperest of the whele of fortune may wel falle doune.
(wel = well / atte = at / vpperest = upperest / whele = wheel / falle = fall / doune = down)
好運にして幸福な運命の輪の頂点にある者はよく落ちてくるものである。
日本語の諺では、奢れる者は久しからず、漢語では、栄枯盛衰ということになろう。

 ラテン語の asinus は即座に ass を連想させるが、これらの単語はケルト語派から来た。ass はウェールズ語の asyn と関係がある。余談ではあるが、ラテン語の asinus にも「馬鹿、浅はかなやつ」の意味がある。

About "Life is a Joke"
Latin Index
奢る平家


  
  




Friday, August 05, 2011

Op-Ed for Black Children

"If Black English isn't a Language, Then, Tell Me, What Is?" US writer James Baldwin stated an op-ed opinion against Ann Arbor subject on Black vernacular speakers & public school teaching in the July 29, 1979, New York Times. He complained about the disadvantage of Black children, but his opinion should be generalized on education for all children:
A child cannot be taught by anyone who despises him, and a child cannot afford to be fooled.
子供は子供を見下す人から教えられてはいけないし、馬鹿にされるようなことがあってはならない。
(ジェイムズ・ボールドウィン)


ジェイムズ・ボールドウィン
James Baldwin

Tuesday, August 02, 2011

shadow banking system

shadow banking system

--- Word DNA ---------------------------------------
2007 "financial system constituted by nonbank institutions, hedge funds, SIVs, SPCs, etc. which works in mysterious ways, avoiding rules & regulations." Also called the shadow financial system. Contrast with the traditional banking system.

ETYMOLOGY
Coined by Paul McCulley of PIMCO (Pacific Investment Management Company.) He defined the term as "the whole alphabet soup of levered up non-bank investment conduits, vehicles, and structures."
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

伝統的銀行制度 (traditional banking system) と呼ばれている普通の銀行業務は、集めた預金を原資にして貸し出して稼ぐ制度である。

それに対して、それ以外の資金の調達・運用方法を編み出した金融機関が構成している制度を影の銀行 (金融) 制度と呼ぶ。造語したのは投資顧問会社 PIMCO のポール・マッカリーで、二〇〇七年のことであった。彼による定義は「レバレッジで持ち上げられたノンバンク系の投資仲介業者、投資媒体と投資集団からなる完全なごった煮」である。影の銀行制度は一九七〇年代の MMF (Money Market Funds) が起源であるという。MMFは銀行と違って規制を受けないが、銀行口座と同等の役割を果たす。

一九八〇年代半ばのレーガノミクスの下に行われた金融自由化から、様々な形で影の銀行制度は発展してきたという。一九九八年にはヘッジファンドの LTCM (Long-Term Capital Management) が運用に失敗して破綻したが、集めた資金にレバレッジをかけて、規制も受けずに取引していたので、影の銀行の一つということができる。

LTCM で多くの金融業者が煮え湯を飲まされたにもかかわらず、二〇〇〇年頃からはじまったハウジングバブルと歩調を合わせて、影の銀行制度は急拡大していったのだという。

影の銀行が扱う証券の取引は店頭市場で行われ、SEC (Securities and Exchange Commission = 証券取引委員会) の監視は届かず、自己資本比率などの規制に縛れることもない。そして、リスクマネジメントと称するデリバティブ取引が発達していった。二〇〇八年のバブル崩壊以前は FRB (Federal Reserve Board = 連邦準備理事会) もその規模を把握していなかったのだという。(規模は二〇〇八年当時、十一兆ドルとも二十兆ドルともいわれていた。対する伝統的銀行の預金残高は十一兆ドルであった。)

サブプライム (subprime) のメカニズムは、債権を有する業者が債権を証券化して年金基金やヘッジファンドやオフショアファンド、保険会社やそのほかの投資家に売却し、取引させ、そうして得た資金を再び貸し付けの原資にするというものであった。ローン会社は仲介業者として利潤を上げることができた。アメリカの住宅金融公庫であるファニー・メイ (Fannie Mae) とフレディーマック (Freddie Mac) は大量の MBS (Morgage Backed Security = 不動産担保証券) を発行して資金を回転させていた。モ ーゲージ債は大きく R からはじまるものと C からはじまるものとの二つに分類されている。RMBS (Residential Mortgage-Backed Security = 住宅ローン債権担保証券) と CMBS (Commercial Mortgage-Backed Security = 商用不動産ローン担保証券) である。これらの証券は SPC (Special Purpose Company = 特別目的会社) と呼ばれる、 大手金融の下部機関を介して投資家に販売されていた。

ABS (Asset-Backed Security = 資産担保証券) は、キ ャッシュフローのある資産に貸し出されたローン (賃貸物 件や自動車ローン) を担保に発行される証券である。ABS は直接、または、CDO (Collateralized Debt Obligation = 債務担保証券) という形にまとめて、SPC が投資家に販売する。CDO はより多額の資金を集めるのに役立ったのだろう。

このように様々な金融商品が充実してくると、それを本体とはオフバランスの SIV (Structured Investment Vehicle = ストラクチャード・インベストメント・ヴィークル) と呼ばれる特殊な子会社で運用するようになる。たとえば、シティーグループの SIV はシティーの連結決算から切り離されているので、自己資本規制などの制約を受け ず、また、SIV側の資産に問題が生じてもシティーの帳簿 上の財務健全性は保たれるようになっている。 SIV は低利の短期資金を利用して長期の高利証券に投資し、利ざやを稼ぐ仕組みになっている。もちろん、一種の影の銀行である。

からくりはどうなっているのかわからないが、サブプラ関連証券は格付会社から高格付を得ていたから、リスクを嫌う年金基金のポートフォリオにも組み込まれていった。

金融機関はサブプライム層 (信用力の低い借り手 / No Income, No Job & Asset 「無収入、無職、無資産」で、頭文字を取り NINJA とも呼ばれる層も含む) まで手を広げてもなお証券化 (資金調達) をやめず、ホームエクイティーローン (住宅価格の値上がり分を担保にしたローン) を利用して信用創造に邁進した。
二〇〇四年には、 CDS (Credit Default Swap) 市場が頭角を現し、わずか数年で六十兆ドルの市場規模になるほどの人気を博した。CDSは一種の掛け捨て保険で、買い手は債権 (債券) が値下がりしたり、不良化しても、売り手 (保険の提供者) に保証してもらえるという仕組みになっている。保険料は信用度によって決まり、買い手と売り手の 思惑で変動する。しかし、CDSは実質的に契約に縛られ るものでもなかったから、爆発的に普及したともいわれて いる。要するに、CDO をはじるとして、担保のある債券はデフォルトしない安全資産ということを前提に、CDSは契約 (取引) されていたのである。

モノライン (monoline) と呼ばれる金融業者は、公債の元利金を保証する。償還時に額面金額が支払われる債券を保証する会社だから、サブプライム関連の債券も保証の対象にしていた。

二〇〇七年まで、バブルによって住宅価格は右肩上がりであったから、業者は当初、少数のローンの焦げ付きがあっても気にしなかった。支払いを滞らせた住民を追い出して住宅を競売にかければ採算は取れたからである。ところが、その事例が多くなって、競売にかけられる物件が多くなると、買い手はしだいにいなくなり、中古住宅価格は下落していった。ローンは支払われず、物件の担保価値もなくなると、住宅関連債券の値段も付かなくなった。二〇〇八年には影の銀行制度を利用した多くの金融機関が経営に行き詰まり、主導した証券会社の一つであるリーマン・ブラザーズ (Lehman Brothers) は公的支援を受けられずに破綻した。ファニー・メイやフレディーマックといった国策民間住宅金融公庫も二〇〇八年のバブル崩壊過程で経営が行き詰まり、最終的には上場廃止となって、政府の管理下に入った。

しかし、それで終わりではない。自動車大手の GM (General Motors) は企業年金が破綻して会社そのものの存続が不可能になっていった。保険大手の AIG (American International Group) は、特にCDSの部門の損失が激しく、立ち行かなくなり、ほぼ危篤の状態となった。政府は米国を代表する金融機関や大企業に次々に公的資金を注入する膨大な財政出動を余儀なくされた。小さい名もなき会社はばたばたと倒れていった。FRBは何度も金利を引き下げ、最終的にはゼロ金利にして、大規模な量的緩和 (QE = quantitative easing / 日本でも QE という略称を使うことがある) を二回実施した。オバマ政権は債務の法定枠の上限までお金を借りてバブルの尻ぬぐいをした。

グローバル時代にあっては、カネは国から国に飛んで 回るので、サブプライム危機は欧州各国を中心に世界中の経済を混乱に陥れた。金融立国を目指していたアイスランドは国が傾いた。世界中の株式市場の時価総額は半分以下まで下落した。BRICs の中ではロシアが深刻なダメージを受けた。EU圏は特にギリシャ、イタリア、スペイン、アイルランドに余波が及んだ。

バブルは消費と投資を活発にするが、それがはじけると、生産設備や在庫や雇用が過剰となって、生産・供給側の経営に重くのしかかってくる。かといって、バブルに乗らないと他の企業にマーケットシェアを奪われてしまう。資本主義の好景気・不景気のサイクルといってしまえばそれまでだが、影の銀行制度が大きくなりすぎて、アメリカでは FRBが全体像を把握しきれず、資産インフレをコントロールできなかったのだろう。

二十一世紀最初のバブルを演出した影の銀行制度は新自由主義と無縁ではなかった。株式市場なら、SEC が監視していて、不正を行う者を見つけると排除してくれるが、店頭市場では自己責任である。また、SIVなどの金融媒体は、規制を受けない代わりに、中央銀行とも繋がりをもてないので、ある意味、完全な自己責任の取引をしていたといえる。また、タックスヘイブンに本体を置いたオフショアファンドは、実際の仕事はアメリカでやっても、アメリカには納税しないのだから、無政府主義的な傾向を有しているといえる。

影の銀行はアメリカ連邦政府の台所を火の車にした主因であることは間違いない。米議会はここ数日間、与野党が法定債務残高上限値を引き上げるかどうかの議論をしていたが、その決議いかんによっては、デフォルトになるところであった。なんとか、デフォルトは避けられる見通しとなったが、ここ数年で米ドルの信用はがた落ちとなっている。

オバマ大統領は社会保障の充実を画策したが、経済混乱の収束に多額の公的資金を投入せざる得ない状態で就任した。共和党保守派は概ね富裕層であり、景気が悪いままでは身投げしなければならなかったような人たちもいたはずである。茶党 (tea party) は、そういった経緯はおかまいなしに、民主党はお金を使いすぎると主張している。性善説が本当ならば、小さな政府は実現するが、どうやらそれは夢物語であるらしい。

Shadow Banking System

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