Saturday, October 26, 2013

インカ

インカ (Inca) はケチュア語で「王、帝、主、貴族 (king, emperor. lord, or lords; ruler, reling people)」の意味。十六世紀、侵攻して来たスペイン人たちは、クスコ (K: Qusqu, Qosqo / S:Cuzco / E: Cusco, Cuzco / 字義:「へそ」) を中心に細長い領土を有して栄えていた国を「インカ帝国 (Imperio Inca)」と呼んだので、その名が世界中にひろまった。今ではインカ帝国を建設した民も Inca 「インカ族」と呼ぶことがある。版図はペルー、ボリビア、エクアドルのほとんどとチリとアルゼンチンの一部であった。主要言語はケチュア語であった。

 ケチュア語で「インカ帝国」は tawantinsuya であった。 tawa は「四」、-ntin は部分を指す接尾辞、 suyu は「地方、地域、県、国」である。日本列島の四国は当然国名ではないが、 tawantinsuya という命名法は四国の名付け方と似ている。

 タワンティンスーヤは都のクスコを中心に東西南北の四方の地方、乃至、県によって構成されていた。

 インカは宗教指導者であり、政界の上層部を占める人々であった。インカはマンコ・カパック (Manco Capac, c1022-c1107) とママ・オージョ (Mama Ocllo) の子孫である。マンコ・カパックは十二世紀初頭頃にクスコ王朝を建てた初代の王。伝説によるとインカ文明はインティ (Inti) と呼ばれた太陽神とママ・キリャ (Mama Quilla) と呼ばれた月の女神が、黄金の杖 (Tapaq Yauri = ターパック・ヤーリー) が地面に沈むところに、太陽の神殿を建てるようにと、マンコとその妹で妻のママ・オージョを指導したときから始まった。

 またマンコはインカの伝説によると、パカリプタンボ (Pacarictambo) というところのタムボトコ (Tambotoco) という洞窟から出て来たという。神話によっては、マンコは日光を反射するマントを着けている。マンコには兄弟が三人、姉妹が四人いて ----- この八人は四組の夫婦でもあったらしい ----- 一緒に旅をしていた。あるとき洞窟に戻ると、兄弟三人は石になってしまった。生き残ったマンコは四人の姉妹と一緒に再び旅に出た。三人の男の兄弟はアンデスの神々である huacas をないがしろにしたので石にされたという。

 ある伝承によると、マンコの部族は、現在ペルーの南東部に位置するチチカカ湖から北に向かい、黄金の杖が沈んでいく谷に着いた。杖が地面に沈めば、そこが世界のへそ、即ち、クスコだとインティより教えられていたマンコは、先住部族を統合して、「われはインティの子なり」と名乗り、神殿や畑の作り方を民に伝えた。

 インティは生命を授ける神である。インカの人々は自分たちがインティの子孫であり、選ばれた子であると信じていた。

 インカ文明には文字がなかったので、神話は口承て伝わったから、さまざまなヴァージョンがある。

 支配者の神聖化はインカ固有ではなく、ユーラシア大陸でも見られる。日本の天皇も天照大神の子孫だといわれている。太陽神の信仰はほかにも広く見られる。太陽は光と熱をもたらしてくれるので、生命の営みにとって必要不可欠なものである。古代人が光合成のメカニズムや、それによる生態系全体に及ぼす影響を知っていたとは思えないが、太陽が生命を与えてくれるものという直感は正しいものであった。もし太陽が誕生しなかったら、地球も誕生せず、地球が誕生しなかったら、地球の生き物も誕生のしようがなかったのである。

 選民思想はユーラシア大陸ではユダヤ思想が有名である。

 月がもたらす、地球上の生命に対する役割についても古代人がどこまで知っていたのかは疑問だが、とにかく夜空で一番目立ち、定期的に満ち欠けする神秘性から、古代から広く崇拝の対象となったのだろう。






Friday, October 25, 2013

Odyssey to Ideal

Johann Wolfgang von Goethe’s (1749-1832) 2nd novel Wilhelm Meister's Apprenticeship (Wilhelm Meisters Lehrjahre) is a bildungsroman (education novel), which depicts the inner growth of the eponymous hero, who undergoes an odyssey to realize his ideal with passion. In Book 5 chapter 1, Manager Serlo’s opinion on everyday life is written that is probably Goethe's own thought:
One ought, every day at least, to hear a little song, read a good poem, see a fine picture and, if it were possible, speak a few reasonable words. 
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの二作目の小説『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』は、情熱をもって自分の理想を実現するため長くつらい旅を進む、タイトルにある主人公の内面の成長を描いた教養小説 (ビルドゥングロマン) である。第五巻第一章でに、ゲーテ自身の思想であろう劇団長ゼルロの意見が書いてある。
すくなくとも人が毎日やるべきことは、かわいい歌を一曲聞いて、良い詩を一編読んで、きれいな絵を一枚見て、そしてできれば、分別あることをちょっぴり話すことです。

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ヴィルヘルム・マイスターの修業時代


Wednesday, October 23, 2013

ケチュア語

ケチュア語 (Quechua = 英語では最も標準的な綴り) は、現在、ペルー、ボリビア、チリとアルゼンチンの北部、コロンビア南部、エクアドルなど、アンデス山脈を中心に約一千万人の話者がいるという言語、あるいは、語族。英語の文献には十九世紀前半から登場。土地ごとに語彙と文法が異なり、方言の域を超えてそれぞれが言語と見なされている観点から、語族と捉える方が正しいという。ケチュア語族の言語の数は分け方によって異なる。(詳細については、『世界のことば小辞典』(柴田武編 / 大修館書店 - 1993) p.175 参照) 但し、 Bolivian standard Peruvian standard を二大方言 (dialects) と見なし、語族とは説明しない書物もある (Concise Compendium of the World's Languages -- by George L. Campbell, 2003)

 ケチュア人を「ケチュア」と最初に呼んだのはスペイン人である。OED によると、ケチュア語で、 Quechua 「略奪者、破壊者」(plunderer, despoiler) の意味。また、ケチュア語には支配者階級が使う一般には知られざる inka simi 「王の言葉 (Lord’s language)」と、巷の日常生活で通用する  runa simi 「民の言葉 (popular language)」があった。 inka は「王、支配者」を指す。runa simi   Quechua になったのは、スペイン人が統治権を握るようになった十六世紀からである。

 かつてのローマ帝国の影響圏域にラテン語が普及したように、インカ帝国の影響圏域にケチュア語が浸透したが、両者には相違点もある。一五三三年にスペイン人がインカ帝国を滅ぼすと、早速、カトリックの布教活動が開始された。一五六〇年、スペイン人の宣教師トマス (Domingo de Santo Tomás) はクスコで話されていたケチュア語 (Cusco Quechua) を基に文法書を作成し、現地の共通語に位置づけた。スペイン語でインディヘナ (Indigenas = indigenous peoples) と呼ばれている先住民族に共通ケチュア語が浸透したのはインカ帝国の宗主国的立場にあったクスコ人によるものというよりは、別の大陸から侵攻して来たスペイン人の影響の方が大きかったというのである。先住民には文字がなかったので、文字はローマンアルファベットが採用された。スペイン人がスペイン語を押し付けなかったことは、布教活動には大いに役立ったのだろう。但し、スペイン式の綴り方は現地語に合致しないとして、原語に則した綴り方にすべきだとする人もいる。

Ama sua! Ama llulla! Ama quella!
coca
llama
pampa
puma
インカ
ケーナ
コンドル
マテ茶

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Tuesday, October 22, 2013

cola

コーラ (cola, kola) は熱帯西アフリカ原産の木で、ニジェール・コンゴ語族の言葉が語源 (テムネ語: kola / マンディング語: kolo )

 西洋人の手によって、ブラジルや西インド諸島などに伝わった。コーラの実 (cola, cola nut, cola seed) は栗くらいの大きさで、茶色みがかった色であり、味は苦く、消化を助ける食べ物として使用されていた。また、神経を落ち着かせる作用もあるという。英語の初出は十八世紀末。

 一八八〇年代の医学誌には ----- Cola nuts are a perfect antidote to alcohol… ----- 「コーラの実はアルコールの完璧な解毒剤である」という記述がある。お酒を飲んだ後にお茶漬けを食べると酔いがやわらぐという経験から察するに、コーラがアルコールを解毒するのは、お茶と同様にカフェインを含有しているからだろう。ペンバートンが発明した元祖のコカコーラには、コーラの実や葉の香り付けがなされていたが、清涼飲料として売り出され、競合他社のペプシもペプシコーラ (Pepsi Cola) を売り出すようになった二十世紀初頭のアメリカでは、一般にカフェイン入りの黒い炭酸水を略称の cola で呼ぶようになった。




Monday, October 21, 2013

Coca-Cola

コカコーラ (Coca-Cola) 、アメリカで開発されたカフェインとカラメル入りの黒い炭酸飲料で、商標名。 OED には Coca-Cola のエントリーがある。言葉の成り立ちから見ると、コカコーラの組み合わせである。コカはラテンアメリカ先住民の嗜好品で、コカインの原材料であり、言葉としてはアイマラ語やケチュア語といった南米先住民語に由来し、コーラは西アフリカ原産のコラノキの実で、ほろ苦くて、カフェインを含有し、言葉としてはニジェール・コンゴ語族に由来している。つまり、アンデス山脈出身のものとサハラ砂漠以南の熱帯の木の実がアメリカで組み合わされたことになる。

元祖コカコーラコカコーラを原材料に含む神経衰弱などに効く内服薬である一方、アルコール飲料の代用品であった。従って、アル中の予防薬としての役割もあった。発明者はペンバートン (John Smith Pemberton. 1831-88) OED が採録している一八八七年の新聞に載った宣伝文には ----- Drink the brain tonic and intellectual soda fountain beverage Coca-Cola… ----- 「脳をすっきりさせる飲み物、知的炭酸清涼飲料のコカコーラを飲もう」とある。今日、コカやコーラは原材料にしないが、名称コカコーラはそのまま使用され続けている。

 英語では同様の飲料水を cokecola と呼ぶ。

 「コカコーラが普及した」ことは coca-colonized という。「コカコーラ普及 (植民地) 化」は coca-colonization という。こういった術語はおおむね Americanized Americanization を意味する。

Sunday, October 20, 2013

Ama sua! Ama llulla! Ama quella!

Ama sua! Ama llulla! Ama quella!
--- Inca Rules

word-for-word
Do not steal!
Do not lie!
Do not be lazy!

Español (スペイン語 = Spanish)
¡No seas ladrón!
¡No seas mentiroso!
¡No seas perezoso!

逐語的邦訳
盗むな。
嘘つくな。
怠けるな。

 ケチュア語の標語。ケチュア語 (語族) にはもともと文字がなかったので、表記法にはばらつきがある。

 この標語はインカ帝国の道徳律であった。南米先住民からすると、スペイン人は略奪と虚言の名人なので、そういったスペイン人たちへ対するあてこすりになったという説もある。

 スペイン人到来前のインカ帝国は、窃盗、虚言、怠惰を三つの大罪と見なしていた。インカの人々が信じていたのは、王 (インカ) が病に伏すと国は荒れるか、あるいは、逆に、国が荒れると、王が病に倒れる、ということであった。厳重注意しても窃盗、虚言、怠惰がなおらない者がいたら、その者はインカの神々を冒涜していると見なされ、処刑されていた。インカ帝国には帝国の国教に位置づけられているような宗教があり、版図内の他の民族の土着の宗教がその国教より敬われることがあってはならなかった。インカの住民は、やましいことは行っていないという証を立てるために、家の扉を開け放っておかなければならなかった。

 文字がなかったので、南米先住民の文化や歴史には不明な部分が多いが、こういった道徳律や宗教観を見るかぎり、ユーラシア大陸の文化や人々の精神とかけ離れているわけではないことが見てとれる。


Friday, October 18, 2013

Taste Slowly

People now think: “The faster. the better.” An old Japanese proverb says: “Eating fast & shitting quickly are also your skills.” But we know that it is not good for our health to eat fast. If you taste & bite spending time, & digest slowly relaxing after eating, that meal will be good enough for your body and mind. Eating & reading are the same, Vilhelm Ekelund (1880 - 1949), Swedish poet, remarks:
To read fast is as bad as to eat in a hurry.

現代人は「早ければ早いほど良い」と考える。早飯早糞芸のうちなる古諺もある。しかし、早飯は健康によくないことが知られている。時間をかけてよく噛んで味わい、食後には寛いでゆっくり消化すると、その食事は心身にとって良いものとなる。食事と読書は同じだとスウェーデンの詩人ヴィルヘルム・エーケルンドは指摘している。
早く読むことはあわてて食べるようにわるいことだ。

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Wednesday, October 16, 2013

コンドル

コンドル (condor) は南米アンデス山脈に棲む頭の禿げた死肉を餌にする猛禽。ケチュア語 kuntur から、スペイン語 cóndor を介して、日本語と英語になった。十七世紀の英語文献には Cuntur と綴られた例もある。十九世紀のダーウィンの『種の起原』には --- The Condor lays a couple of eggs… --- 「コンドルは卵を産む」の記述がある。ラテンアメリカ諸国は、コンドルを金貨にデザインしたことがあるので、英語やスペイン語ではそういった金貨を指すこともある。

 カルフォルニアの山岳地帯で見られる同様の猛禽は California condor という。

ケチュア語

コンドルは飛んでいく


Tuesday, October 15, 2013

マテ茶

マテ茶はケチュア語 mati から、スペイン語 mate を介して日本語になった。英語では mate は「メイト」になるので、 maté と綴る。

 マテ茶はマテチャノキと呼ばれるヒイラギ科の低木の葉を乾かして茶葉を作る。茶葉は緑のままお湯に浸すこともあれば、あらかじめ焙煎しておいて抽出する黒いお茶もある。焙煎しない茶葉から抽出する飲み方は日本の緑茶の飲み方と同じである一方、乾かした茶葉を焙煎するやり方は中国茶や紅茶の作り方と同じである。南米にコーヒーがもたらされてから焙煎するようになったのか、それ以前から焙煎する飲み方があったのか、そのへんのことは不明である。

 マテ茶を飲むときは小さい瓢箪から作った器にストロー状のものを入れて吸い出す。器もマテという。かつてケチュア人たちは竹や葦からストローを作っていたらしいが、今日では金属製のものを使う。金属のストローはスペイン人の考案によるもので、スペイン語で bombilla という。マテ茶の説明をいろいろと読むと、必ず、カフェイン濃度は高いと書いてある。

 アルゼンチンには ¡Tomá mate! 「マテ茶を飲め (Take maté!)というスペイン語の驚きを示す感嘆の表現がある。「何慌ててるんだ! とりあえず茶でも飲んで落ち着け」といったニュアンスなのだろう。
瓢箪から駒
河豚

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鹿

しか" がいわゆる「鹿」の意味であった。上代の日本では、オスはさをしか、メスはめか、子供はかこと呼ばれていた。『万葉集』にはさをしかが出て来る例がいくらかある。巻十の二二六七の歌は恋を秘めておきたい女性が相手におくった歌で、さをしかは原文の万葉仮名では「左小壮鹿」と記されている。
さを鹿の朝伏す小野の草若み隠らひかねて人に知らゆな
 「牡鹿が朝伏している小野の草はまだ若く短いので、隠れ切れない。だから人に知られないようにして下さい」

 さをしかさをは角なのだろう。しかし、理由はわからないが、時代が下ると、人々は鹿がオスであるかメスであるか気にしなくなり、性別をあらわす人が減り、さをしかめかも区別しないでしかと呼ぶようになった。今日、性別を気にする人は牡鹿・牝鹿と使い分けるが、「さおしか」という人はいない。また、現代語では牝鹿は「めじか」であって、「めか」ではない。

 鹿は英語では deer である。 古典ギリシャ語 θήρ「野獣」(wilde beast) とも結びつけられることもあるが、語源的関係はないとされ、ゲルマン語派に属する。一般的に、印欧祖語の語根 *dheus- 「息 (breath)」と関係があるという。ラテン語の影響下にある animal と同様に原義は「息のある生き物」と考えられている。(日本語の生き物と関係があるだろう。) 古英語期から中英語期にかけて、 deer は広く「四本足の哺乳動物」の意味であった。例えば、鼠の類は small deer と表現されていた。もしもウォルト・ディズニーが数百年早く生まれていたら、 Mickey Mouse ではなく、 Mickey Small Deer になっていたかもしれない。近代、 deer は「鹿」に限定されるようになり、今に至っている。



Monday, October 14, 2013

芋頭でも頭は頭

芋頭でも頭は頭

word-for-word translation
Even if a taro head, a head is a head.

general translation
Even if dull, a leader is a leader.

 日本語のことわざ。

 芋は里芋か山芋かじゃがいもかさつまいもか限定されていないが、里芋か山芋の類だろう。

 いもという単語は、芋にとっては聞き捨てならないことだろうけれども、そのいびつな形から、どこかできそこない的なものを形容するときに用いられる。植物全体としてのイモではなく、食す芋は土中にあるものだから「どろくさいもの」の代名詞。野菜としてありきたりな面もあるから、「つまらないもの」もいもという。しかし、「たとえ芋でも社長は社長」などと讃えられることもある。

 ただ見方を変えると、世襲などによって上に立った者に対する無条件の屈服ともとれる。「あいつは芋でも頭は頭。ついていくしかあんめえ」のような用例があるかどうかは調べていないが、言葉は千変万化するのが普通だから、ありえなくはない。




Friday, October 11, 2013

One Onomatopoeia that Created the Unuverse

The universe began with one English onomatopoeia --- BANG! The term bang is the sound of a heavy blow or a pistol firing. An explosion of a nuclear bomb is also called a bang.  Bang, moreover,  is a coarse slang term which means an act of sexual intercourse. Even  though bang is relatively familier for every-day life of English-speaking people, it seems that the word is not suitable for a technical term of astronomy or theoretical physics. The term big bang first came into the world out of the mouth of a skeptical astronomer Fred Hoyle (1915-2001). He disapproved of the hypothesis of Georges-Henri Lemaître’s (1894-1966) primeval atom saying that the universe had begun at only one point of super high density & super high temperature, persisting in his own theory of the steady state, which explained that the universe is in the steady state having no birth & no end. In his lecture on BBC radio in March, 1949, he had blurted out his true mind carelessly uttering the vulgar word bang:
We come now to the question of applying of the observational tests to earlier theories. These theories are based on the hypothesis that all matter in the universe was created by one big bang at a particular moment in the remote past.

宇宙は英語の擬態語のひとつ BANG からはじまった。BANG は強く打ちのめす音であり、ピストルの発射音である。核爆弾の爆発もBANGである。BANGはさらに性行為を意味する下品なスラングでもある。英語話者の日常生活にはいくぶん馴染みがあるけれども、天文学や理論物理学の専門用語には不向きなように見える。ビッグバンという用語がはじめて世に出たのは懐疑派の天文学者フレッド・ホイルの口からであった。ホイルは自身の宇宙には始まりも終わりもなく定常な状態にあるという理論に固執して、宇宙は超高密度で超高音のたったひとつの点からはじまったとするジョルジュ・アンリ・ルメートルの原始的原子仮説を受け入れなかった。一九四九年三月、BBCラジオの講演でホイルはついうっかり俗な BANG という言葉を漏らして本心を口走ってしまったのだった。
私達は初期の理論に対する観察実験の適用に疑問を呈しています。これらの理論は遠いはるか昔のある瞬間に一回のBIG BANG (ドッカーン) で宇宙の万物が創造されたという仮説が基本になっています。

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ビッグバン
定常宇宙論
ジョルジュ・ルメートル
フレッド・ホイル

   




Thursday, October 10, 2013

かめ、カメ、亀

語圏では、カメを陸に棲んでいるのか、海に棲んでいるのかで分ける。トータス (tortoise) は陸亀、タートル (turtle) は海亀。日本には元来、陸亀がいないので、海に棲んでいるか、淡水に棲んでいるかで分ける。海にいるものはで、淡水にいるのはすっぽん

 フランス語とスペイン語ではそのような区別がないようで、たとえば、仏語 tortue は単に「亀」であり、スペイン語も tortuga でトータスとタートルの両義がある。

 歩みの遅い動物のたとえも各国語で異なる。英語圏ではかたつむりが、フランス語圏とスペイン語圏ではが、日本語ではがそれぞれ遅い動物の代表である。

  at a snail’s pace...
  à pas de tortue...
  a paso de tortuga...
  牛歩...

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snake (Snail is cognate with snake... )

亀の甲より年の功
月とすっぽん

スティングとプロコフィーエフ (The Dream of the Blue Turtle)

Wednesday, October 09, 2013

面子

メンツは中国語の面子 (miànz)「顔、外面、面目、体面 (face, surface, reputation, prestige)」からできた。面が割れているなどという言い回しは警察などに「顔を知られていること」である。面子が立つはやくざの隠語で「顔が立つ、プライドが傷つかない」こと。中国語には「メンバー、ブレイヤー」の意味はないが、日本語では「何かを一緒にする人」の意味で面子ということがある (: 麻雀の面子が足りない... 面子はお前が集めとけ... )。これは、顔を貸せ、メンを貸せ、ツラを貸せなどのやくざ言葉からの類推でできた表現だろう。「顔貸しておくんなさい」などという表現のは、人間は顔だけ体から外して他人に貸し出すことはできないから、当然、その持ち主、即ち、その人自体を指す。そこから、面子は「何かを一緒にする人」の意味になった。




Tuesday, October 08, 2013

のみの市

のみの市は英語の flea market を翻訳借用した語句。日本では音をなぞってフリーマーケットということもある。日本語では flea free も区別なくフリーなので、「蚤」よりは「自由」の方が響きが良いということで使用されるようである。ただし、イディオムの free market は、一般的には、「自由市場」という経済術語で、政府の介入が少ない民間主導の経済体制を作る国の市場を指す。

  flea market はフランス語の marché aux puces 「路上市場」を翻訳借用したものだが、 puce には「蚤」のほかに「かけら、かけたもの (chip)」の意味がある。また、人を指すときは「小物、みみっちいやつ」のような意味がある。フランス語の puce には「はんぱもの」という訳語を充てても良いかもしれない。OED によると、英語の flea market は一九ニ二年の文献に出てくる。その文は、「のみの市と呼ばれているのは、こまごましたもの (fleas = がらくた) をかきあつめて、種々雑多な多数の中古品を売っているからである」というような解説をしている。のみの市の出店者はかつてはテキ屋や道具屋のような商売人だけだったのだろう。今では、一般の人たちが家庭で不要な未使用品や中古品を売るためにもちよるところものみの市と呼ぶようになった。

 フランス語 puce は英語にも入っているが、蚤の色、即ち、「赤褐色 ()」のみを指す。フランス語 puce はラテン語 pulex 「蚤」に由来している。 flea はゲルマン語族の英単語である。




Monday, October 07, 2013

軟骨

軟骨は杉田玄白 (亨保十八年~文化十四年: 1733-1817) がオランダ語の kraakbeen にあてた訳語。初出は『解体新書』。漢語では性根がしっかりした人を硬骨漢というから、それとは対義的に、杉田玄白は kraakbeen の訳語を物的に柔らかい骨として、軟骨と命名した。

kraak は英語の crack と語源が同じで、「(音がポキポキ/パチパチ/ビシッと) 鳴ること」を指し、 been は英語の bone と同系で「脚、骨 (leg, limb, bone)」を指す。kraak は場合によっては「ひびが入ること、折れること」だが、ポキポキ鳴る部位を杉田玄白は柔らかい骨、即ち、軟骨としたのだろう。オランダ語には「骨」を指す単語がもうひとつあり、 bot というが、 軟骨kraakbot とは言わない。

 英語で軟骨cartilage / gristle といい、骨は bone というから、英語話者にとって軟骨は「柔らかい骨」でも、「ポキポキと音がする骨」でもない。要するに骨の類とは考えない。


→ゴム (「グミ」の中にあるゴムはオランダ語由来)
コップ (of Dutch origin)
ナップサック (of Dutch origin)
ランドセル (of Dutch origin)
リュックサック (of Dutch origin)

Saturday, October 05, 2013

Las Uvas de la Suerte

Las Uvas de la Suerte

word-for-word translation
The grapes of the Luck

逐語的邦訳
葡萄、幸運の
(幸運の葡萄)

 スペイン語の文句。

 マドリッドの行く年来る年では、大晦日の深夜十二時 (元日の午前零時に太陽の門広場 (La Puerta del Solの鐘が十二回鳴らされる。人々は鐘が一回鳴るたびに葡萄を一粒ずつ食べる。この習慣を十二粒の葡萄 (las doce uvas) または幸運の葡萄という。十二粒の葡萄はスペインの縁起物といったところだ。

ウェールズの年越し
湯圓 (タンユエン: 中国春節の縁起物料理)
(中国春節の縁起物「倒福」)




Friday, October 04, 2013

Nature Is More Beautiful

Flowers in nature are more beautiful than philosophy told by books… A lot of poets feel so. Walt Whitman (1819-92), known as the father of free verse, is such a poet. too. However, he was not a poet who wrote his poems depending on only his intuition. Leaves of grass, his major work, was expanded & revised several times until his death, since the first publication in 1855. However, feeling for the poet may have been more important than thinking. Let’s read a line in Song of Myself in Leaves of Grass.
A morning-glory at my window satisfies me more than the metaphysics of books.
自然の中の花は書物が語る哲学よりも美しい。多くの詩人はそう感じる。自由詩の父として知られるウォルト・ホイットマンもそういった詩人の一人である。それでも、ホイットマンは直感にのみ頼って書く詩人ではなかった。代表作『草の葉』は一八五五年の初刊行以来、詩人が没するまで何度も増補改訂された。それでも詩人にとって、感覚は思考よりも大事なものだったのだろう。『草の葉』の中に収められている『ぼく自身の歌』の一行を読んでみよう。
我が家の窓辺に咲いている一輪の朝顔は書物の形而上学よりもぼくを満足させる。

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Bruce Lee Instruction
Don't think. Feel!

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ウォルト・ホイットマン


Thursday, October 03, 2013

ナップサック

ナップサックは英語 knapsack から。ドイツ語 Knapsack やオランダ語 knapzak は語頭の k- を発音し、なおかつ、連結されているときは、ドイツ語 -s- とオランダ語 -z- は無声化して「サック」となる。後者はドイツ語/オランダ語 Sack/zak S-/z- が単独では有声だからだろう。 Sack zak はともに「バッグ、袋、ホーチ」の意味である。

 ナップの語源はいまひとつはっきりしないが、オランダ語動詞の knappen や英語の動詞 knap 「かじる、かじりとる」と関係があるだろうといわれている。しかし、オランダ語の形容詞 knap は「ハンサムな、スマートな、かしこい、うつくしい」などの意味であるから、こちらの方が語源ではなかろうか。ドイツ語の knapp (pは二つ書く) は、形容詞としては、「せまい、きつい、きっちりしている、小さくまとまっている、すれすれの (narrow, tight, neat, concise,  close)」の意味である。

  ナップサックは"クナップサック"ではないから、直接の語源は英語で間違いない。

  OED knapsack の項には十七世紀と十九世紀の比喩的な用法が採録されている。

Wednesday, October 02, 2013

ランドセル

ランドセルはオランダ語の ransel 「背嚢、背負い鞄、ナップザック、財布」が語源だといわれている。 「背中に背負う袋」と定義して良いのだろうけれども、ranselknapzak (「ナップザック」-- オランダ語は k- を発音する) に portemonnee「財布、札入れ」の意味もある。おそらく、 ranselknapzak は「包むもの、袋」だから、「財布」の意味もできたのだろう。

オランダ語の r音はフランス語の r音のように h のように聞こえなくもないから、 ransel は「ハンスル」の方が近い気もする。ランドセルはどこから付いたのかわからない。

ランセルは幕末に創設された近代西洋式軍隊の「背嚢」のことであったが、明治期には初等教育の学校で背負い鞄の採用がはじまった。今日のランドセルは昭和三十年 (1955年) 頃から一般化した。おそらく、児童の教育現場での平等意識を養うために、保護者たちには採用が推奨されたのであろう。

コップ (オランダ語からできた言葉)
ゴム (グミといっしょに言及)
ナップサック
リュックサック (オランダ語からできた言葉)

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Tuesday, October 01, 2013

リュックサック

リュックサックはオランダ語 rugzak 「背中の袋」から。rug は「背中」を指し、zak は「袋、包み」を指す。英語だと、 rucksack または backpack という。

 英語の sack の同系語は印欧諸語の各語派に広く見つかるのみならず、ハンガリー語 (zsak) やアラム語 (saq) など他の語族にも見つかる。日本語のサックザックも同系語。サックは英語から、ザックはドイツ語からの外来語である。

コップ (オランダ語からできた言葉)
ゴム (オランダ語からできた言葉: 投稿「グミ」の中で言及)
さくさく (sackについて言及)
ナップサック
ランドセル  (オランダ語からできた言葉)

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