Wednesday, February 27, 2013

われから

われから (割殻 / 破殻) は体長数センチの小さいカマキリに似た海の生き物で、海藻に付着して棲息している。語源は乾くと殻が割れるからだという。海士・海女が発見したものであろう。一寸の虫にも五分の魂というが、こういった小さな生き物に目を向けて歌によみこむあたりに、日本人の自然観を垣間見ることができる。

 英語では、 ghost shrimp 「幽霊海老」 あるいは、 skelton shrimp 「骸骨海老」という。

  地口・洒落を好んで使う平安朝の歌人たちはこの小さな海の生き物を「我から」と掛けて歌に詠み込んでいた。九世紀の藤原直子 (なほいこ) の作。
海人の刈る藻に住む虫のわれからと音をこそ泣かめ世をばうらみじ
(この恋は) 我から (自分のせい) のことなので、声を出して泣いても、世を恨んだりはしません」
「海人の刈る藻に住む虫の」はわれからを導く序詞。
 
 この歌は在原業平の恋愛遍歴を綴った『伊勢物語』の六十五段目に採用されている。
 
 歌一首から物語は再現される。

 昔、帝 (清和天皇) の寵愛を受けた女がいた。大御息所 (おほみやすむどころ = 皇子・皇女を生んだことがある女性。ここでは、清和天皇の生母) のいとこであった。在原なる男がこの女と知り合って情を通じた。男は若かったので女部屋への出入りを許されていたのだ。女は「よろしくないことです。このままでは身を滅ぼします。もうやめにしましょう」と言った。それに対して男は答えた。
思ふには忍ぶることぞ負けにけるあふにしかへばさもあらばあれ
「恋していることを世間に隠す気持ちはもうありません。逢い引きで世間体がどうにかなるというのなら、どうにでもなればいいのに」
 女は奥に引っ込んだ。しかし男は人目も気にせず女を追いかけた。女はたえきれずに里に帰った。宮中よりも逢い易くて好都合だと思った男は、里まで追いかけていって通った。世間はそれを知って笑い草にした。

 やがて男はこのままでは自分も駄目になってしまうのではないかと悩み、仏や神に祈って恋心を鎮めようとしたがかえって恋心はつのるばかりで、陰陽師や巫女にお祓いしてもらっても逆効果であった。
恋せじと御手洗河 (みたらしがは) にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな
「恋はしないぞと御手洗河でみそぎをしてみても神様は聞き入れてはくださらなかった」
 顔の美しい帝が仏の名を心を込めて尊い声で申し上げると、女はたまらなくなって涙をあふれさせた。「立派な方にお仕えする身でありながら、前世からの因縁で、あの男につかまってしまった !

 帝が二人の関係を耳にすると、男を流罪にし、女をいとこの御息所に託した。御息所は女を蔵に閉じ込めて折檻した。閉じ込められた女は独りになるとしくしくと泣いた。
海人の刈る藻に住む虫のわれからと音をこそ泣かめ世をばうらみじ
 男は夜毎に蔵の外までやって来て (流刑地がどこで、どのように抜け出すのかは語られない)、笛を吹き、美声でしんみりと歌った。それでも女は蔵に閉じ込められたままなのでお互いにあうことは出来なかった。
さりともと思ふらむこそかなしけれあるにもあらぬ身を知らずして
「ともかく思い続けていることは悲しいこと。生きているかどうかさえわからないわたしの身を知らずに」
 男は女にあえず、流刑地に戻って歌を詠んだ。
いたづらに行 () きては来ゆるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ
「徒に行ったり来たりしているのは一目だけでもあいたい気持ちがあるものだから」
 『伊勢物語』には五十七段にもわれからの歌がある。

 さて、現代の古文学者たちは、六十五段の五首の短歌の原典を調べ上げている。「さりともと~」は原典不詳だが、ほかの四首は『古今集』からの転用である。(『古今集』のどこから引用されたのか知りたい方は、『鳥獣虫魚の文学史 魚の巻』(鈴木健一編) p. 40 を参照されたし)

恋のことわざ
なばる (序詞について言及)

PS
YouTubeワレカラの動画あり。

   
   
  




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