Tuesday, September 25, 2012

印欧祖語の格活用形について

He - his - him who - whose - whom など、現代英語は代名詞では三種類、一般名詞や固有名詞では、 world - world’s / David Copperfield - David Copperfield’s など二種類の格活用形がある。語順の固定化と前置詞の発達によって現代英語ではほとんど失われているが、屈折語と呼ばれる印欧諸語の名詞・形容詞、あるいは、冠詞 ・指示詞や代名詞には格活用があり、十一世紀のノルマン人侵攻以前の英語、即ち、古英語には主格、属格、対格、与格、具格といった五種類の格活用形があった。ちなみに数は基本的に二種類で、単数、複数、そして、性は男性、中性、女性であった。

 更に遡って印欧祖語をみると、格活用形の数は八種類であったとされている主格、属格、対格、与格、奪格、具格、処格 (位格)、呼格である。ちなみに数は単数、双数。複数、性は男性、中性、女性であった。

Sunday, September 23, 2012

トロイアを探せ

世からはじまり近代のシュリーマンに至までヨーロッパの貴族たちにとっては、ホメロスの英雄叙事詩で、ギリシャ連合軍との戦争により滅亡したと伝えられているトロイアを探索することは、自らの起源を探り、支配階級者としての自らの血統の由緒正しさを立証することであった。というのも、ウェルギリウス (Virgil, 70-19 BC) の『アイネーイス (The Aeneid)』によれば、トロイアの武将アイネイアス (Aeneas) がローマの礎を築いたことになっているからである。

 英国の伝説では、アイネイアスの孫のブルートゥス (Brutus) がブリテン島にやってきて新たな国家を建設したということになっている。この伝説では、ブリテンという地名はブルートゥという人名から出来たことになっているのである。

アイネイアス ギリシャ語。長母音を加味すると、アイネイアース。ラテン語からカタカナにするとアエネーアース。その叙事詩はラテン名で Aeneis 『アエネーイス』。

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シュリーマン以前のトロイア

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Saturday, September 22, 2012

摩頂松

『西遊記』ファンとして見つけた玄奘伝説のひとつ。唐の時代の『独異志』なる怪奇譚集にある『摩頂松 (まちょうしょう)』の話。

 玄奘は天竺に経典を取りに行く旅に出る前に、霊巌寺の一本松に語りかけた。

 「わたしが西に進んでいるときは西に伸びなさい。経典をいただいて東に戻る道を辿りはじめたら、弟子たちに告げなさい」

 弟子たちとは道中一緒になる孫悟空、猪八戒、沙悟浄のことではない。霊巌寺のとどまって師匠の帰りを待つ弟子たちのことである。

 松は玄奘が旅立つと数年の間は西の方へ数丈も伸びた。

 ある日を境に東に伸び始めた。そこで霊巌寺の僧侶たちは玄奘が帰路についたのだと悟った。
 

Friday, September 21, 2012

The Living and the Dead

What is the difference between the living & the dead? The living lives in worry. You live your life & have your business; Macbeth lives his life & has his business. You have your worries in your life; Macbeth has his ones. Why do we worry? In my conclusion, to live is to worry. The dead sleeps silently & never worries. In the case of Macbeth, he has accomplished his ambition to be the king of Scotland, but his pain has got worse for that treason. He consequently envies Duncan who he has killed (Macbeth Act 3 Scene 2):
MACBETH
Duncan is in his grave;
After life's fitful fever he sleeps well;
Treason has done his worst: nor steel, nor poison,
Malice domestic, foreign levy, nothing,
Can touch him further.
者と死者の違いは何か。生きている人は悩みながら生きている。人にはそれぞれの人生があり仕事がある。マクベスにはマクベスの人生があり仕事がある。人にはそれぞれ悩みがあり、マクベスにはマクベスの悩みがある。なぜ悩むのか。結論としていうと、生きることは悩むことである。死者は静かに眠り、決して悩まない。マクベスの場合、スコットランド王になる野望を成し遂げたが、そのせいでかえって苦しみが大きくなっている。マクベスは自らの手で殺したダンカンを羨むことになる (『マクベス』第三幕第二場)
マクベス
ダンカンは墓の中だ。
気まぐれにおそってくる人生の熱病の後で、安眠を得ている。
反逆にあったのが極めつけで、鋼鉄も、毒薬も
悪意のある臣下も、外国の挙兵も、
もはや何がきても動じないのだ。
Macbeth Quotes 

Wednesday, September 19, 2012

アナトリア仮説

唱者がレンフリュー (Andrew Colin Renfrew, b.1937) であるため、レンフリュー仮説ともいうが、この説では印欧祖語の発祥はクルガン仮説よりも古い。まず、印欧祖語の発祥前にアナトリア半島に農耕が発生し、文化的な優位性によって、彼らはギリシャへと移住・拡散していった。そして、紀元前六五〇〇年から六〇〇〇年の頃、印欧祖語ができた。紀元前五五〇〇年の頃から、石器時代であったヨーロッパ各地に移住しはじめ、分派していった。そして、農耕と共に紀元前三五〇〇年頃にはスコットランド北端のオークニー諸島 (Orkney Islands) に到達した。農耕民は少数で暮らす狩猟採集民に対して優位であったため、ヨーロッパのほぼ全土を印欧諸語を話す人々が席巻した。植民のパターンは千差万別であったと考えられているが、土着民が吸収・同化されていった例もあるだろう。非印欧民族で言語的アイデンティティーを保ったのは、イタリアのエトルリア人、スペイン・フランス北部のバスク人、イベリア半島東部のイベリア人など、ごく少数であった。そういった諸民族は、農耕定住型印欧諸民族に対峙するだけの集団的経済力があったのだろう。単純に考えて、経済力のあるグループAと経済力のないグループBがあるとすれば、経済力のあるAが生き残り、ない方のBは滅びるか、従って仲間 (または小作・奴隷の類) になるか、その土地を出て行くかしなければならなくなる。

 この仮説では、アナトリア語派は、いうなれば、本家であり、ほかの語派は分家ということになる。

近代の入植政策
クルガン仮説


レンフリュー関連書




Monday, September 17, 2012

シュライヒェルの寓話

イツの言語学者シュライヒェル (August Schleicher, 1821-68) は、『印欧諸語の比較文法の概要 ( Compendium of the Comparative Grammar of the Indo-European Languages)』を著した人だが、実際に印欧祖語とはどんな文を成す言語であったのかを示す為に、印欧祖語で寓話を書いた。馬と羊の話である。この短い物語を現代日本語で書くとだいたい以下のようになる。
毛のない羊が馬を見ました。一頭は荷車を牽き、一頭は積荷を背負い、別の一頭は人間を乗せていました。羊が馬に言いました。「人間が馬さんを使っているのを見ると心がいたみます。」 馬が羊に言いました。「羊さん、聞いてください。羊さんには毛がないのに、人間が羊さんの毛で作った温かい着物を着ているのを見ると心がいたみます。」 これを聞くと羊は平原に逃げていきました。
 このストーリーは時代考証に沿って書かれている。つまり、印欧祖語を話していた人々は、馬を使役に用い、羊の毛を刈って着る物を作っていたのである。

 シュライヒェル が物質的にはともかく、精神的にはどこまで考察できていたのかはかなり気になるところである。というのも、シュライヒェルの書いたストーリーはリベラルである。人間が自分を客観視し、登場する動物はお互いを思いやっている。十九世紀のヨーロッパの学者がこのような物の見方をしていても驚くことはない。しかし、シュライヒェルの想像どおりだとすると、数千年前からリベラルな物の見方はあったことになる。


Tuesday, September 11, 2012

クルガン仮説

 一般にクルガン (Kurgan) 文化の担い手が印欧祖語 (Proto-Indo-European) を話していた民族であるとされている。クルガンはトルコ語から借用されたロシア語で青銅器時代の「墳丘墓」を指す。原クルガン文化は紀元前六〇〇〇年頃におこったという。文字が発明される遥か以前のことなので、古代においてクルガンがなんと呼ばれていたのかはわからない。場所は黒海とカスピ海の北方の狭間のステップ地帯で、時代が進むにつれて、クルガン文化の範囲は拡大していった。

 彼らは既に農耕・牧畜民族で、牛や馬や羊を飼い、穀物を栽培し、養蜂によって蜂蜜を採取し、羊の毛で織物を織って生活していた。車輪のついた乗り物を作り、馬に牽かせて移動や戦闘に用いていた。

 宗教は多神教で、天の神が父、大地が女神で、その間にさまざまな神々が生まれたと信じられていた。こういったことは主に古代ギリシャの神話から再構成されたものであろう。

 一方、創世論はゲルマン神話から再構成されたらしく、この世を巨人の亡骸と見なしていたのだという。即ち、頭蓋骨は天蓋となり、目は太陽、心は月、鼻は風、骨は岩、血は水、そして、巨人の体毛は草になったと信じられていた。

 世界は終末を迎えると最終戦争に突入し、秩序が入れ替わって新たな世界が出現する。

 言語は紀元前四二〇〇年頃に最初の分化が発生したと考えられている。アナトリア半島に移住した人々の言葉 (アナトリア語派) ができたのである。以降、彼らの拡散が進むに従い、東はインド、トカラ (場所は現在の新疆ウイグル自治区)、西はイベリア半島 (最初にイベリア半島に移住したのはケルト語派で、イタリック語派は後から侵入した) まで、言語は次々に分化していった。

mead
アナトリア仮説

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Sunday, September 09, 2012

覆醤

は醤油。それを覆うものだから、覆醤 (ふしょう) とは、醤油入れの蓋。 著書が世に容れられず、反古になることを例えていう。転じて、自作の詩を謙遜する言葉。 出典は『漢書』。
 類義の慣用句に一粲を博すがある。こちらは読んでもらって一笑されること。
 お目汚しは、拙いものを見せるときにいう言葉。
 英語にはこういった謙遜語はないと思う。

 

Saturday, September 08, 2012

ビーフシチューと肉じゃが

洋と西洋のつながりは複雑多岐である。肉じゃがといわれる日本の家庭料理は、実はビーフシチュー (beef stew) の日本版なのである。かつて東郷平八郎元帥は西洋で食べたビーフシチューの味が忘れられず、海軍の調理人にビーフシチューを作るよう命令した。しかし調理人たちはだれもその料理がどんなものか知らなかった。そこで、元帥に伺いを立てると、なんでも、牛肉とじゃがいもをおいしく煮込んだものだ、とのことであった。どうやら元帥ご自信も作り方はわからないらしい。そこで調理人たちは日本風に砂糖と醤油で味付けして、彼らの「ビーフシチュー」を完成させた。東郷元帥は「ビーフシチューとは違うが、これはこれでうまい」と言ったのだという。

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Friday, September 07, 2012

Usurper Fears to be Usurped

At Act 3 Scene 1 in Macbeth, “to leave no rubs nor botches in the work,” Macbeth orders two murderers to kill Banquo & his son Fleance. The usurper of the throne seriously fears to be usurped from the throne. A conversation between Macbeth & Lady Macbeth at Act 3 Scene 2 shows us that he tries to strengthen his malice & to defeat his fear:
 LADY MACBETH
Things without all remedy
Should be without regard: what's done is done. 
MACBETH
We have scotch'd the snake, not kill'd it:
She'll close and be herself, whilst our poor malice
Remains in danger of her former tooth.
『マクベス』第三幕第一場、「仕事を完璧に仕上げるために」マクベスは二人の刺客にバンクォとその息子フリーアンスの殺害を命令する。王位の簒奪者は王位を簒奪されることをひどく怖れているのだ。第三幕第二場のマクベスとマクベス夫人の会話はマクベスが悪意を強めて恐怖を打破しようとしているさまを示している。
マクベス夫人
どんな薬も効かないなら
くよくよしても仕方ないことです。済んだことは済んだこと。 
マクベス
我々は蛇を仕留めようとしたが、殺し損なったのだ。
我々の情けない悪意がやつの古い牙の危険にさらされているかぎり、
やつはおしまいになろうとも、なおやつのままでいるのだ。
Macbeth Quotes

Wednesday, September 05, 2012

世界の名著

『死ぬまでに読んでおきたい 世界の名著』 (洋泉社) は、いわゆる古典文学の案内書である。ただ、「世界」とは銘打っていても、要は、西洋物をいう。二十作のあらすじが手っ取り早くわかるので、忙しい現代人には向いているかもしれない。この本が選んだ二十傑は以下のとおりである。

『白鯨』

『グレート・ギャッツビー』

『風と共に去りぬ』

『誰がために鐘は鳴る』

『初恋』(トゥルゲーネフ)

『戦争と平和』

『罪と罰』

『カラマーゾフの兄弟』

『ハムレット』

『嵐が丘』

『一九八四年』

『若きウェルテルの悩み』

『ツァラトストラはこう言った』

『赤と黒』

『三銃士』

『レ・ミゼラブル』

『失われた時を求めて』

『異邦人』

『神曲』

『ドン・キホーテ』

この中で熱心に読んだことがあるのは、ヘミングウェイのミッション・インポッシブル『誰がために鐘は鳴る』、善悪なんぞ物の見方でどうとでもなるといいつつ、なかなか思うように行動できない悩み多きデンマークの王子の物語『ハムレット』、ヒースクリフがアーンショウ家とリントン家に復讐する『嵐が丘』、ダルタニアンが三銃士とともに悪の枢機卿と対決する『三銃士』、ジャン・ヴァルジャンとコゼットとマリウスの数奇な運命と十九世紀のフランスの姿を描いた『レ・ミゼラブル』、そして、憂い顔の騎士とその従者サンチョ・パンサの冒険談『ドン・キホーテ』である。

『若きウェルテルの悩み』は、読んだことはあるはずだが、印象は薄い。

『失われた時を求めて』は長すぎて、拾い読みしかしていない。

『風と共に去りぬ』の出て来るスカーレット・オハラのいい人アシュレー (アシュレーはメラニーと結婚している) は、戦後、腑抜けになってしまう時期があり、勝者の北の政府に税金をおさめないとスカーレットが農場を失ってしまうというのに、口にするのは文明の崩壊だとか、神々の黄昏といったことばかりで、実務に役に立つことをスカーレットにしてくれない。それはどことなく病弱なせいで焦燥感を募らせながら執筆していたであろうニヒリストのニーチェと重なる。「神は死んだ」だとか、「永劫回帰」のことがニーチェの書には書いてあるが、だからいったいなんなんですかといいたくなる。ニーチェが無意味だとは思わないが、でも男というのはせいぜいそんなもので、いざとなったら女の方が強いのだろう。ただ、ヒースクリフはかわいそうな境涯ながら、図太く逞しく生きる。

こうしてみると、ロシアものはほとんど知らないことに気付く。ラスコーリニコフの性格や行いは少しは知っているが、通して読んだことはない。

ちなみに村上春樹文学に影響を与えたのは、上記の書物では、『グレート・ギャッツビー』と『一九八四年』であるという。

サマセット・モームは『嵐が丘』を世界十大小説に数えている。

ヘルマン・ヘッセは誰にとっても必ず読んでおかなければならない書物など存在しないと言っていた。

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Cat is honest (by Hemingway)

ヘミングウェイとカミュはノーベル文学賞受賞者
(ノーベル賞関連投稿)
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