Sunday, October 30, 2011

中世の終末論

 イスラムがイベリア半島を支配していた九世紀、後ウマイヤ朝の都コルドバで預言者ムハンマドとイスラム教を非難した一人のキリスト教徒書記が斬首刑にされた。当初、キリスト教徒たちはこの殉教者に同情的な態度をとったが、一部の人々がイスラム批判を続けると、支配階級のアラブ・イスラム側は、ムハンマドの非難者を次々に処刑し、キリスト教徒への圧迫を強化していった。当時、キリスト教徒は官吏にも登用されていたが、公職からは追放された。すると大勢のキリスト教徒たちは態度を翻して殉教者たちを非難するようになった。
 しかし、少数派は尚も殉教者たちの味方であった。後に聖人となったエウロギウス (英: St. Eulogius of Cordoba, 800-859) とその親友の詩人アルヴァルス (英: Alvaro of Cordoba) は強硬な反イスラム派の代表であった。一神教地域では、危機を間近に感じる人たちは終末論を説くものである。スペインの詩人アルヴァルスは、ダニエル書の預言を読み解き、独自の終末論を練り上げた。
 ダニエルは夢で未来を見た。そのことがダニエル書七章に記されている。そこで述べられている四頭の獣は、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマの四大帝国であると解釈されている。二十四節と二十五節が、アルヴァルスの独特の解釈である。そこには「ローマ」の十本の角が出てくるのだが、それはローマを滅ぼしたゲルマン諸王であるという。そのあとにもう一人来る王を、アルヴァルスはムハンマドであると断定した。キリスト信者から見たムハンマドは偽預言者である。その王はいと高きものに逆らう大言壮語を発して、いと高き者の信者を疲弊させ、時代と法を変えようと考える。いと高き者の信者は三時半 (みときはん) の間、その王の手に落ちる。
 三時半 (ヘブライ語の逐語訳であるというKJV では —— a time and times and the dividing of time... ) は、なぜダニエル書がこのような言い回しをしているのかも意味不明だが、アルヴァルスは一時を七十年と換算したから、三時半は、即ち、二百四十五年間ということになる。イスラム教は西暦六二二年からはじまったが、アルヴァルスは六一八年からはじまったと主張していたから、八六三年にはムハンマドの帝国も終わると予言したことになる。八五二年、コルドバ回教王国の王アブド・アッラーフマーン二世 (Abd ar-Rahman II) が崩御して、ムハンマド一世 (Muhammad I) が即位すると、このアミール (イスラム王) がイスラム創始者の「偽預言者」と同一の名前であったから、そのことも終末論の展開に利用した。
 アルヴァルスやエウロギウスは、終わりが来れば、正しい者は救われ、いつまでも続く神の王国 (ダニエル七章二十七節) ができると信じていた。
 イスラムによると、イエスは神ではないし、三位一体そのものが出鱈目な言い草であるから、両者がこの点で歩み寄ることは絶対にない。


feet of clay (ダニエル書から生まれた慣用句)

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後ウマイヤ朝
コルドバ・アミール
Eulogius of Cordoba

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